昔からある「東京あるある」。
だが、実態とはかけ離れている。
所詮はアクセス稼ぎの記事。書き手も都民ではないので当然だ。
そこで都民から「東京あるある」を検証してみた
東京あるある
東京にいる殆どの人間は田舎者
(これは2016年のデータだが)
東京で会う人間の半分は田舎者である。
また、田舎は特に流出が少ない。
東京生まれは田舎に引っ越し、田舎者は東京に引っ越す。
流動の多い地域だ。
方言に憧れなど無い
都民は方言を聞き飽きている。
普段は標準語とはいえ、家では田舎言葉を使う家庭も多い。。
田舎言葉を話す親に育てられた子供は、そのまま幼稚園や小学校に通う。
都民にとって子供の頃から方言を聞いているので、方言があるのが普通。
むしろ「標準語発音って何?」と思っている。
都外は全部田舎
方言も同様。「〇〇方言」等の区別は特にない。
「田舎だ」という感想しか無い。
田舎では「田舎」を蔑称として使っているが、都民にそういう文化はない。
特に関西では同和問題も残るので、差別意識が高いだろうか。
東北だろうと関西だろうと九州だろうと同じ様な扱いだが
「関西を特別扱いしろ」と訴えているようだ。
田舎者は怖いところでも入っていく
「都民なら普通は行かねえよ」というところでも、田舎者は入っていく。
都民としては「田舎者怖い…」というのが素直な感想。
繁華街は田舎者しか行かないので
「田舎者同士が都内で争っている」とういのが正しい現状把握だ。
東京は狭い
都民はせいぜい23区ぐらいしか東京だと認識していない。
離島・多摩県は「とうきょう…?」と懐疑的である。
特に多摩県は田舎者の居住地であるので、田舎者も東京と認識していないだろう。
場合によっては23区でも県と隣接する区は東京扱いされていない。
特に埼玉の植民地として池袋・吉祥寺は有名。
新宿駅で迷わない
新宿駅は利用者数が世界一である。有名なだけで難しくない。
新宿駅は簡単な方で、難しい駅は無数にある。
田舎者ごっこする
都民は人混みを嫌う。
待ち合わせ場所などもってのほか。
人の多いところは待つことも合わせることもできない。
行く前に合わせるか、現地で合わせるなど人の少ないところを選びがち。
「待ち合わせ場所使うなんて田舎者みたいだね」と思いながら待ち合わせをしている。
都内に詳しくない
都内の観光地は田舎者が行く場所。
田舎者のほうが都内に詳しい。
電車の長さを知らない
田舎の人は、都会に出て「短い10両編成」と聞き驚くと言うが、
それを聞けるのは田舎だけだ。
「短い10両」アナウンスを聞いたり、
15両編成が見られるのは湘南新宿ラインや上野東京ライン。
田舎の人しか使わない電車だ。
都民が車両の長さを気にすることはない。
各駅停車は総武線、快速は中央線
見ての通り。田舎者にとって「中央線は多摩県まで行く、総武線は千葉県までいく」ものかもしれないが、
都民にとって中央・総武線の違いは停車駅だ。
免許持ってない
車が必要という時代は終わった。
必要なのは田舎者ぐらいだろう。
道の駅を知らない
都内に道の駅はない。
親が田舎出身なら、帰省時に知ることがあるかもしれない。
都民の思う田舎あるある
田舎者は冷たい
田舎者は道で人が倒れていても助けない。
田舎では知人の目もあるが、都会では見知らぬ人を助けない。
東京にいるのは殆どが田舎者。
田舎者同士が冷たいので都内で助け合いは起こらない。
人を避けない
田舎には人が居ないので、人を避ける風習がないのは当然だ。
「ぶつかりおばさん」「ぶつかりおじさん」という言葉もあるが、
田舎者が人混みに来ればぶつかるのは必至。
封建主義
自己紹介ではまず性質よりも、出自などが重要。
同じ出身地で固まる。
都民なら「それぞれ好きなことやればいい」というスタイルだが
田舎者は同調圧力も強く、同じ趣味を強要したりする。
スキあらば都会人アピール
「繁華街で待ち合わせする」「有名カフェに行く」「標準語の指導」等…
都会人アピールをするが、田舎者しかやってない行動。
「都会でやる田舎者のイタイ行動」でしかない。
歩くのが遅い
「都民は人混みで歩くのが早い」と言われることの方が多いが。
田舎者は人混みでぶつかるので歩くのが遅くなる。
都民は人混みを歩く時、人の動きをちゃんと見ている。
- 都民同士なら
- 互いに回避行動を取ると確認。
- 互いにスムーズなすれ違いができる。
- 都民・田舎物なら
- 田舎者は動きを見ていないので、都民が大きく避ける必要がある。
- 田舎者一人勝ち。
- 田舎者同士なら
- 互いに動きを見ていないのでぶつかる。
他にも「電車乗った瞬間に立ち止まる」、「改札出たらすぐ立ち止まる」など
後ろに人が居るか確認する風習がない。
停車前に扉前に集まる
田舎で電車に乗るとわかりやすいが、田舎者は停車前から扉前に集まる。
都民なら降りようとしてる人に道を譲ったり、そもそも皆降りる駅だったりするので問題にならないが。
田舎には人に譲る風習がないので、乗り過ごしを防ぐために扉前に居なければならない。
また、田舎者は横断歩道の信号が変わる前に渡り始める。
そのくせ足が遅いので後発を妨害する。
すごいぞ田舎者。
発音に厳しい
田舎者は「田舎言葉と標準語の区別ができる」ので、発音に厳しい。
都民は日常的に方言を浴びているので「地元では言わない」というだけで言及しない。
だが田舎者は気になって仕方ないようだ。
田舎の言葉を使い続ける
都民はいくつか方言は知っているとはいえ、翻訳には時間がかかる。
つい出てしまうのは仕方ないが、標準語知ってるなら標準語で話してくれと思っている。
だが、田舎者は「田舎言葉・標準語」両方話せるとはいえ、人に合わせる風習がない。
駆け込み乗車をする
3分待てば次の電車が来るのだから、都民には駆け込む風習がない。
田舎者は田舎の習慣で電車に駆け込んでしまうようだ。
もちろん、特快が必要なのは田舎者だけだ。
東京の範囲が広い
東京にないのに「東京」という地名を使いたがる。
「東京弁(江戸弁)」という言葉を使うが、観光業しか東京弁は使っていない。
東京方言(首都方言)を使っている人が多数だろう。
また、東京全体のことを「江戸」と思っている人が多いが、せいぜい江戸と言えるのは東京の東側だけ。
西側は山の手である。
喫煙者が多い
まだ昭和を引きずっているのか?と思うほど喫煙してる。
悪ぶってるのが格好良い、という時代にまだいるようだ。
都民ないない
里帰りへの憧れ
帰省ラッシュは「大変だなぁ」と眺めるイベント。
都民はわざわざ人の集まるイベントに参加しない。
方言への憧れ
前述の通り。むしろ恐怖さえ感じる。
田舎者の「都民に憧れられたい」という願望が漏れ出たのだろう。
浜松町と言い直す
どこの田舎の風習だ?
浜松町は「浜松町」であって都民は略さない。
都立高を応援する
どこの田舎の風習だ?
田舎は封建主義なのでどの高校に属しているかは重要だ。
だが都民に帰属意識はない。
田舎は多様な趣味は「ヲタク」として許されないが、
東京では誰がどんな趣味だろうと気にしない。
運動は応援したい人が応援するもの。それ以外の人は気にしない。
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