31.12.25

父をの最期を見届けた日のこと

休日の昼食後、父の入っている老人ホームから連絡があった。

意識レベルが低く朝食を食べていないこと。
今日は持たないかもしれないこと。

看取りも対応している老人ホームなので案内は的確だった。
連絡があって20分も絶たず、家を出ていた。


一週間前に見舞いに行ったばかりだった。
その時はまだ動いていた。
体を動かすのはつらそうだったが、まだ話もできていた。



老人ホームに向かう道中、どうなるか見当もつかなかった。
どれくらい悪いのかわからない。
また意識が戻って時々見舞いに行くような生活に戻るのか?


老人ホームに到着し、部屋に通される。
意識はないが呼吸音は聞こえていた。

部屋には母と来ていた。
特別話すことはない。道中もそうだった。
本当に最後なのか?
わからない。ただ待つだけだった。


父の呼吸が止まったようだった。
老人ホームなので実際のナースコールではないが、説明ではナースコールだったボタンを押す。
脈はまだあるようで、首の血管が動いてるのは見えた。


ナースコールをしてもすぐには来ない。
焦りは無かった。
早く蘇生してほしいわけではない。
ただ、今日は本当に呼び出しがかかるべき日だったと思っただけだった。 

こんなに来るのが遅くて良いのかと思うぐらいだった。
緊急だったら病院に入っているだろう。
入所者が本当に危険で呼び出ししてるなら手遅れだっただろう。それぐらいの時間が過ぎた。

少し呼吸をしたと思ったらまた止まる。
それを2,3回繰り返したら呼吸は戻らなくなった。
脈も止まった。

これが終わりなのか。
終わりなのか?
一つの区切りのような気がした。

 

呼び出しを受けたときは面会時間を過ぎて夜まで居て良いと言っていたが
到着して15分もかからないくらいだった。
何時間待つことになるか分からなかったがすぐだった。
待ち続けるより良かった。

母が来るまで耐えていたのか?
ギリギリまでもったことを、人によっては奇跡と呼ぶかもしれない。
だがsgtnは奇跡に逃げるつもりはない。ただの偶然だ。

死に目に立ち会えて良かったか?
別によくはない。立ち会えなくても悪いとは思っていない。
だが、立ち会えなかったことを悔やむ可能性を回避できたのは良い、くらいだ。
だが母にとっては良いことだっただろう。


最期に会った一週間前、父は迷惑を詫びていた。
聞こえにくい声で、話していた。
もう最期だとわかっていたのだろうか?

sgdnは日々を為すこと無く過ごしていたので
迷惑とは思っていなかった。

最後に触れた父は血行が悪くて冷たかったし、筋力も落ちて軽かった。
泣くつもりはなかったが泣いていた。
そんな別れだった。



老人ホームに入ったときは、これからまた長い生活が始まるのかと思っていた。
それがあっという間だった。
老人ホームに入ってから1年も経たずに、
最期と聞いて到着してから1時間も経たずに。
これは全然迷惑ではなかった。

資金面もそうだ。
老人ホームに居た期間が短いので出費も少ない。

ボケてたわけでもない。
記憶も意識もしっかりしていた。
逆に動きにくいから苦労していたかもしれないが。

もしも救いがあるのなら、不自由なまま長生きしなかったことだろう。
苦しみが続かなくて良かったと思う。

 

 

sgdnは先に死ぬのは自分の方だと思っていた。
だからnarcissuがあった。

去る者に「してあげたかった」なんて上から目線で思うことはない。
sgdnにできることがあるとも思っていない。
いつ最後が訪れるかはわからない。いつだってsgdnには最後だった。
だから後悔はしない。

sgdnが旅行して、家に土産の菓子を買っていけばよく食べていた。
それを「してあげたこと」なんて思っていないが。
もっと「してあげればよかった」なんて思ってもいないが。
「しといてよかった」とは思っている。
ホームに入ってからは、いつ見舞いに行くかわからないから買えなかったが。もっと持っていければよかっただろうか。



死んだらそこで終わりではない。
医師が死亡診断書を書くし、葬儀屋に連絡したりする。
sgdnにすることは無いんだが。

老人ホームのスタッフに滅茶苦茶泣いてるスタッフが居た。
だが多くの死に立ち会うスタッフがこれだけ悲しんでるのは、疲れてしまわないか心配になる。
寄り添うには向いてるが、続けるには向いてない気がする。
この家族が泣かないだけか? 

sgdnは暇すぎて、今日のことをここに書くか、書くならどう書くかをずっと考えていた。
それぐらい暇だった。



一度家に帰って葬儀屋に行った。それぐらいの時間はあった。
遺体は葬儀屋にすでに預けてある。

葬儀のオプションが多すぎる。
骨壺も柄?袋?
乗せる花?

基本料金で15万~みたいになっていて葬儀はとんでもない額が動くと思った。
sgdnが死ぬときは本当に最小限で良いなと思った。
継ぐものがいないのでどうなるか知らないが。無縁仏か。



父よ、さらば。
注文が多かったが、見当違いのことも多いと思ったが、きっと心配していたのだろう。
感謝しているのかは分からない。
きっと父としてやり遂げただろう。

sgdnは何か出来たのだろうか。

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