26.3.22

俺にとって俺ガイルとは何だったのか

 今更だが俺ガイル。

正式名称はやはり俺の青春ラブコメはまちがっている。だが。


第1巻を読んだときは衝撃を受けた。そのまま読んでいたらアニメ化された。



アニメ化の際には「俺、八幡に似てるかも」と言い出すやつが続出し
「お前が八幡みたいな選択できるの??????」と散々思っていた。


八幡の選択は正しい。八幡は常に正解への最短の道を選ぶ。
八幡は間違えない。それも自己犠牲を使えるからだ

それを勘違いした奴らが「八幡を自己肯定感の低いやつ」と誤解して投影し、
八幡の俺TUEEEEEEEEEEEEを自分のものと勘違いしているに過ぎない。
ヤツらには八幡と同じ選択はできない。



八幡の自己犠牲は良かった。
それはイストリアの夕桜ちゃんのように、八幡の自己犠牲を許さないのは妹の小町しか居なかったからだ。

しかし奉仕部に関わり、自己犠牲を咎める人が出始めた。自己犠牲は使えなくなった。間違いが許されなくなった。



八幡の間違いとは何だったのか。八幡は出会いを間違ったのではないだろうか。
八幡と雪ノ下は結ばれる運命にあった。そこに由比ヶ浜が介入しダラダラとラブコメが始まってしまった。

由比ヶ浜は二人が結ばれるのを知っていた。だが、3人の空間が欲しくて邪魔をした。
これは渡航の描くワイルバ2由比ヶ浜は小木曽雪菜だ。なんてクレイジーなんだ。



自己犠牲を使いこなす八幡には憧れたけれど、きっと八幡は間違っていないだろう。

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