10.9.25

あなたもきっと差別をしてる (差別はたいてい悪意のない人がする 感想)


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著者は教授。
マイノリティ・人権・差別論などを取り扱う多文化科の教授だった。

差別のつもりはなかった
「決定障害」という言葉の使い勝手が良かったので普段から使っていた。
ヘイト問題のシンポジウムで「決定障害」という言葉を使った。

それは障害に対する差別ではないのか?
著者は質問されて気づいた。
「優柔不断」といえば良いものの「障害」という言葉をあえて使っていた。

差別について教える立場なのに、自身が無意識の差別者だった。



差別のつもりはない?

「黒人は学力が低いので、学習環境を整えなくて良い?」
「女性が少ないので、女子トイレは少なくて良い?」
「聾唖者は少ないから、手話を用意しなくて良い?」

有利な側は差別に気づかない。現状維持で良いやと思う。

黒人の学力は低いかもしれないが、学習環境を整えないから少ないままだ。
女性が少ないかもしれないが、女子トイレが少ないから来たいと思う女性は少ないままだ。
聾唖者が少ないかもしれないが、手話の用意がないから来たいと思う聾唖者は少ないままだ。


現状維持は差別だ。
だが差別主義者は気づかない。
おそらく指摘されても理解できない。自分が有利側だからだ。



管理職に女性枠が必要か?

管理職になる女性は少ない。
「女性は結婚、子育てで家庭を優先させるので管理職にさせない」という偏見がある。
この偏見で余計に「管理職じゃないから家庭を優先させよう」という意識付けが起こる。

これはすでに差別環境下にある
この悪循環を打破するために管理職の女性枠が必要になる

差別環境下でない健全な状況なら「女性枠」なんてわざわざ作らなくて良いんだが。
差別主義者は「なんで女性枠が必要なんだ?」と差別に気づくことはない



統計的差別

統計的差別、そういう言葉があるらしい。sgdnは初めて知った。
上記の「女性だから管理職にさせないでおこう」もその一つ。


アメリカの事例。
「黒人に部屋を貸すと資産価値が減るから貸したくない」というオーナー。
これは差別か?

黒人は白人と比べて犯罪率が高く、貸すことで白人が寄り付かなくなる。
空き状態が増えて収益が落ちる。


日本でもあるだろう。
「外人だから部屋を貸したくない」という事象が。


本来は個人で判断すべきところを、「統計的」という理由で差別している。
差別主義者は
差別だとは思っていないが。



障害者への差別はなくならない

日本の障害者への合理的配慮は「過重な負担のない範囲」とされている。

だが「合理的配慮」は訳がおかしい
健常者が対応しないために必要最低限という印象を植え付けている

reasonable accommodation は「妥当な便宜」でなければならない。


間接的差別

差別主義者には見えない(意識できない)差別に間接的差別(間接差別)もある。

本書の中では「聾者にも英語のリスニングテストを受けさせる」を上げている。
入社試験を通過するにはリスニングが必要な会社があった。
当然だが聾者は聞くことが出来ない

だが難しいリスニングを免除するのは真面目に勉強した健常者が不利になる
有利者(健常者)はリスニングを維持しろと言う。
だがこれは差別だ。


この会社にはリスニングを試験に入れる通りがなかった
英語を使わない職種だし、リスニング能力も必要ない。
ただ前年踏襲で差別を残す会社だった、という話。


だが、有利者は指摘されるまで差別(ハザード)の存在に気付かない


弱者はずるい?

「障害者・女性は優遇処置があってずるい」と思うかもしれないが、
よく考えればそれは差別だった。

「ずるい」と言って弱者を叩くのは簡単だ。
現状の差別状態を維持するのは簡単だ。

なぜ「ずるい」と思ってしまうのか?
運営側が差別状態を維持してきたからだ。

もとから適正な運営をしていれば差別も起こらず
「ずるい」と思われるようなテコ入れも必要ない。
優遇しなければならないほど差別を根付かせた運営に文句を言うのが正しい



差別者を批判するのは善人面?

「管理職の女性枠を作れ」「黒人にも部屋を貸せ」外野は好きなように言える。
リスクを負わないからだ。

いつもの堀元氏は小さい組織は対応できないと言っている。
残念ながらそんな余力はない。だから許せとは言ってはいけない


だからせめて罪の意識を持てと言っている。

差別をして、差別していることさえ自覚していないなら積極的な差別主義者だ
差別に気付けない馬鹿も居るが、せめて自覚して罪を背負い自分を見失わないでいたい。


だが、差別は禁止だ。
妥当な便宜は義務だ。

「小さい組織は対応できない」と言い訳にするのは運営に失敗している
組織を畳んだ方が良い。


事実を言う差別

ある国の大統領が「同性愛者は嫌い」と言った。 

ただ、意見をいうだけだ。問題ないか?
強者が弱者を嫌いという。
それは弱者が強者を嫌いというのとは意味が違う。 

強者が「同性愛者が嫌い」というのは排除を促す差別だ
異性愛者が「同性愛者が嫌い」と言うのとは意味が異なる。 

 

だが、現実では差別しか許されていない。 

健常者が「障害者は嫌い」 と言うのは許されているが、
障害者が「健常者は嫌い」と言うと「障害者は生意気」と、弱者は常に批判され続ける


差別は笑いがとれる

差別は当然のことだった。差別をすれば笑いが取れる時代があった。

黄色人種にツリ目ポーズ(黄色人種は目が細いから)をして侮辱をするとウケる。
差別が当然な文化圏がある。

だが時代も移り文化的になると差別に気付く人が出る。差別をしない人が増える。
時代に遅れた人が差別を続ける
そこでようやく問題になる。


結局馬鹿は馬鹿で有り続ける限り差別を続けるし、
差別してることに気づかない。

文化レベルを上がるのを待たないと差別はなくならない。
だからせめて、自分の文化レベルだけは上げて、自分だけでも差別をしないよう心がけるしか無い。

自分も気付かず差別をしてしまうことがあるだろう。
そんなとき省みて、正せるようになる。そう意識を持ち続けるのが必要だ。


差別をなくすのは非現実的?

違いのあるものを攻撃するのは人間の本能
文化的でない人間は差別をする

小さな会社が、力がないから、経営的に仕方ないから、と言い訳を作って差別をするのは止められない
だからせめて行政だけでも差別を無くすべきだ。

税とは弱者への再分配だ。決して政治家の私腹を肥やすものではない。
役人も「障害者対応の事例がない」と対応しない。

国民の、区民の手本である役人が間接的に、統計的に差別を推奨している。
日本でも差別はなくならないだろう。


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